リアコなんて

前略、若手俳優の推しにリアコになりました。

否、なっていました。

これまでリアコなんて、と鼻で笑っている節があったのは事実でまさか自分がリアコになるなんて思ってもみませんでした。

最近やけにラブソングが胸に刺さるのも、少女漫画や恋愛映画に必要以上にときめくのもきっとそのせい。

 

いつからリアコを自覚したかと言うと、推しのインタビューを読んでから。

一般誌にありがちな質問、好きな異性のタイプ。

推しは付き合うなら同世代の人がいいとのこと。

私は推しより少し年下。

今までならきっとそれだけのこと。

なのに理解できないくらい苦しくなって、涙が溢れて止まらなかった。

付き合いたいなんてそんな大それたこと考えてなかったはずなのに恋愛対象外という事実を真正面からぶつけられた気がした。

なのに誌面でこっちを見つめる彼は私の心臓をいい意味で的確に刺激してきて。

ああ、私はこの人にガチ恋なんだリアコなんだとその時に自覚した。

 

今思い返してみると、リアコになった時なんてどう考えても最初の現場しかなくて。

板の上でキラキラ輝く推しが眩しくて綺麗で釘付けになったあの瞬間だったんだろう。

私が初めて推しの現場に入ったのは彼の初舞台。

そこから1作品も欠かすことなく追っかけてきた。

そう、追っかけて。

どれだけアイドルや他のメジャーな俳優と比べて距離が近くたって所詮芸能人とファンなのだ。

自分が1番よく分かっているはずなのに。

距離感を誤ったのは推しでも事務所でも運営でもなく紛れもない私。

想像以上にリアコって辛くて苦しくて自分が1番自分を責めてる。

 

ここ最近現場がなくて、毎日のように会いたいって言ってたけど今はもう会いたくない。

というか遠くから見ていたい。

なのに決まってしまった直近の現場は逃れられない接近。

もういっそ心のプラカードでもあればいいのにね。

https://youtu.be/JhokU8SlmNg

 

話は変わるけど、私はAKB48のオタクをしていました。

なのでここのブログタイトルも『鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの 』のオマージュです。

劇場までの道のりで「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったらどうなってしまうんでしょう。

きっと私と推しの関係じゃ何も起こらないし、上手い返しを会得してない推しを困らせてしまうだけ。

 

こんなにリアコだという話をつらつらと書いていますが、推しの彼女を知っていたりします。

同棲を始めて気が緩んだのか2人で歩いてるところに遭遇してしまった。

1番見たくないところだった。

私が知らない笑顔を彼女に向けてリラックスしている推しは私が見たどんな表情の推しよりかっこよくて大嫌いだった。

現場が無さすぎたせいで全く上書きできなくて、思い出して苦しくなってしまうのは紛れもなく推しのせい。

 

これを読んだ人は彼女と歩いてるの見たのにリアコやめられないのっておかしくない?って思うんじゃないでしょうか。私も思いました。

でも、これまで好きだった人に彼女がいるからって好きじゃなくなったことなくないですか?

諦めることはあっても、好きな気持ちを消すことは中々出来なくて。

 

まだ当分はリアコを続けるしかないんだろうなぁ。

現場の度に好きになっていく自分を自制しながら。

リアコなんて 今すぐやめられたらいいのに。